国語教育は何故必要なのか?

国語教育は何故必要なのか?

何で国語の時間ってあるのだろうか?

学生の頃、このように思われた方は少なくないはずである。

教師が黒板に書いた画一的な読みを、生徒はただひたすら板書するだけ。そのような現在の国語教育は、意味のない授業をやっているように見える

しかし、意味のないことができることに意味があるのである。

1872年、学制が発布される

話は1872年まで遡る。

当時の日本は、必死だった。欧米列強の強大な力を目の当たりにした日本は、植民地にされないように「富国強兵」と「殖産興業」を掲げ、頑張るのである。

富国強兵とは、国家の経済を発展させて軍事力の増強を促す政策のことを指している。

殖産興業とは、 機械制工業、鉄道網整備、資本主義育成により国家の近代化を推進した諸政策のことを指している。

この2つのスローガンを達成するためには、指示を理解できるだけの学力があり、指示通りに行動できる人材が必要だった。

そういう人材を育成するために、1872年に学制は公布されたのである。

小学校や中学校の国語教育では、指示を理解し、指示通りに行動できる人材を育成するために、テキスト(文章)を使って、指導した画一的な読みを生徒が読めるように訓練した

その国語教育が、今もなお続いているのである。

指示を理解できるだけの学力があり、指示通りに行動できる人材は勤め人として非常に使いやすい

明治時代から教育が続いているということは、現在も指示を理解できるだけの学力があり、指示通りに行動できる人材を育成していることになる。

明治時代~昭和初期にかけて、そのような人材は兵隊となったり、工業の担い手になったりして活躍した。

では、現在は一体どのような職についているのだろうか。

答えは、勤め人。サラリーマンである。

指示を理解できるだけの学力があり、指示通りに行動できる人材は、会社の経営者にとって非常に使いやすいのである。

そのため、明治以降の国語教育が今も続いている。

一見すると無意味なような、教師が黒板に書いた画一的な読みを、生徒はただひたすら板書するだけの現在の国語教育は、このようにして意味があることなのだ。

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