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知識デブになるな
大学時代、学生の間で不評な教師がいた。
ただひたすら、ソクラテスやプラトンなど昔の哲学者の本を課題図書として学生に読ませ、読書のすばらしさを説いている教師だった。
彼の一体何が不評だったのか。
それは彼が何も価値を生んでいなかったからである。
価値があるのは、ソクラテスやプラトンなど著名な哲学者の本である。
彼自身は、ただの読書をひたすらしただけのおっさん、それが彼の偽らざる姿だった。
私はああはなりたくないなと思った。
その教師の問題点は、本をたくさん読んでいるだけで、実践が伴わなかったことである。
何か面白い考察があるわけでも、それまでに何か挑戦したわけでもなく、ただひたすらにソクラテスやプラトンの言葉を右から左に伝えるだけ。
その語る人間の中身の薄っぺらさに、私を始め、学生たちは辟易したのだろう。
過剰にあった知識とは裏腹に、行動が伴わないその姿は知識デブそのものだった。
知識デブとは、知識だけ大量にありながら、行動を起こさない人間のことを言う。
知行合一という言葉がある通り、知識と行為は本来一体であり、真の知識は実践によって裏づけられていなければならない。
読書は知識を吸収する上で確かに大事であるが、知識デブにならないよう、我々は得た知識を基に行動・実践し、スリムになければならないのである。
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