町家は貧乏くさい
「町家は貧乏くさい」
休憩時、祖母が何気なく言った言葉だった。
私は祖母が言ったこの言葉にうなづいた。
町家とは、ここでは都会の人というくらいの意味である。
都会の人はなぜ貧乏くさいのか。
その理由は主に3つある。その3つというのがこちらだ。
①町家は生産設備を持っていない
②町家は見栄を張る
③町家は世帯当たりの家族人数が少ない
では、次からの各章で町家が貧乏くさい理由をひとつひとつ見ていこう。
町家は生産設備を持っていない
都会の人が貧乏くさくなる理由の一つは、都会の人の多くが生産設備を持っていないからである。
ここで言う生産設備とは何か。
それは商品を作るための設備である。
例えば、農家にとっては畑、田んぼ、山は生産設備と言えるだろう。
人によっては、パソコンやWebサイトも生産設備に当たるかもしれない。
都会に住んでいる大半の人は、勤め人(無産階級)であるため、この商品を作る生産設備を所有していない。
畑に行けば野菜や花があり、田んぼに行けば稲(米)がある。
生産設備を持ち、これらのものを簡単に手に入れることができる農家と違い、これらのものを町家はお金を払って手に入れる。
何とも不自由な話である。
町家は見栄をはる
町家が貧乏くさい2つ目の理由は、町家の人が見栄を張るところにある。
ベンツ、レクサス、クラウン。
乗っている車の格で優越感に浸るのが好きなのが、町家の民の性分だ。
確かに良い車を乗っていると、他の人々からの承諾が、格段に得られやすくなるという性質がある。心理学でいうところのカッチサー効果だ。
心理学者ロバート・B・チャルディーニは、その著書『影響力の武器』で乗っている自動車には、他人に権威を感じさせる効果があると述べている。
権威者に対して自動的に反応する場合、その実体にではなく権威の単なるシンボルに反応してしまう傾向がある。この点に関して、効果のあることが実験で明らかにされている三種類のシンボルは、肩書き、服装、自動車である。これらのシンボルの影響力を調査したいくつかの研究では、(それ以外に正当な資格は何ももっていなくても)それらのうちのどれかを所有している個人は、より多くの相手に言うことを聞かせることができた
『影響力の武器』ロバート・B・チャルディーニ 著 太字は引用者による
しかし、良い車を乗っているということは、車を購入分のお金が減っている、もしくは借入れをしているということの証明にもなる。
富とは、使わなかったお金なのだ。
見栄とは、富を手に入れる(または維持していく)ための真逆の行動と言えるのである。
町家は世帯当たりの家族人数が少ない
町家が貧乏くさい3つ目の理由は、町家が世帯当たりの家族人数が少ないところにある。
核家族という家族形態が広まって久しいが、経済面だけを考えると核家族は損である。
況や単身世帯をや。
家族は集まれば集まるだけ、経済的には得なのだ。
白物家電も一緒に暮らせばそれぞれ一つで済むし、電気・ガス・水道などの光熱費も人数が増えるたびに一人当たりの費用は逓減する。
子育てや介護なども、外部に委託することなく、家族内で行うこともできるだろう。
実家への帰省するための費用も安く済む(むしろ掛からない)。
このように家族は団結して暮らすのが、経済的には得なのだ。
この経済的に得な選択肢を選ばない。言ってしまえば、刹那主義、自由主義的な思考を持っている町家の人たちはやはり貧乏になっていくのである。
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