『崩壊5段階説』を読んでみて
最近、ドミートリー・オルロフ氏の『崩壊5段階説』という本を読んだ。
崩壊5段階説とは、現在の資本主義社会が崩壊する過程を5つに分けて考えた仮設である。
第1段階 金融の崩壊
「平常通りのビジネス」という信頼が失われる。未来はもはや、リスク評価や保証付きの金融資産を可能にした過去とは違うものだと考えられるようになる。金融機関が破産する。預金が一掃され、資本調達が損なわれる。
第2段階 商業の崩壊
「市場が供給してくれる」という信頼が失われる。通貨が減少するか希少なものとなる。あるいは、そのどちらもが起こる。商品価格が高騰し、輸入および小売りチェーンが支障をきたす。そして、生存するうえにおいての必需品が広範囲で不足する事態が常態となる。
第3段階 政治の崩壊
「政府があなたの面倒を見てくれる」という信頼が失われる。市販されている生活必需品が入手困難となり、それを緩和する公的措置が奏功しなくなるにつれて、政界の支配層は正当性と存在意義を失うことになる。
第4段階 社会の崩壊
権力の空白を埋めるために現れるのが、慈善団体だろうと他の集団だあろうと、地方の社会制度は資源を使い尽くすか内部抗争の果てに機能しなくなり、「周りの人々があなたを気遣ってくれる」という信頼が失われる。
第5段階 文化の崩壊
人間の善良さへの信頼が損なわれる。人々は、「親切気、寛大さ、思いやり、情愛、正直さ、もてなしのよさ、同情心、慈悲」といった能力を失う。家族はバラバラになって、希少な資源をめぐって骨肉の争いとなる。新しいモットーは、「お前は今日死ね、俺は明日だ」というものになる。
金融が崩壊し、商業が崩壊し、政治が崩壊し、社会が崩壊し、最後に文化が崩壊する。
突飛な主張だが、妙に納得感があった。
私が生きている間に、政治(日本国政府)が崩壊するかは分からない。
ただ金融、商業あたりまではワンチャン崩壊するかも。そんな予感がした。
この記事では第1段階、第2段階を読んだ私の感想を書いていきたい。
第1段階 金融の崩壊
資本主義とは、レバレッジによって拡張する。
資本家は銀行の融資によって、事業を始めたり、会社を大きくしたりする。
つまり、資本主義世界では、融資分社会が大きくなっていかないといけない。
今まではこの世界の拡張を石油が担っていた。しかし、安価で石油が取れなくなってきている。
増え続ける通貨に対し、実物経済が追いつかない。この構図が起きている。
下のグラフは経済産業省が作成したグラフだが、実質GDPとエネルギー消費に2007年以降乖離が起き始めている。
通貨(日本円など)の価値が棄損する。
貴金属(金など)など価値を蓄えられるものに通貨を交換すると良いだろう。
また通貨に頼らず、家族や一族内で内製化できるものは内製化していくのも良いとオルロフ氏は語る。
家族や一族内で支払いの伴わないサービスが可能ならば、お金の必要性をさらに低下させることになる。そういうこととして、料理、掃除、自動車修理、警備、建設、法務、会計、保管、輸送、縫製、庭作り、保育、教育、医療などといったさまざまな例が挙げられる。あぁ、そうだ、金貸しも忘れないようにしよう、もちろん、無利子だ!
頼れる家族コミュニティーを作るのだ。
地方在住の私が考える今後高まる技術は以下である。
・DIY
・料理
・家庭菜園
・釣り
・狩猟
・保育、介護の内製化
・警備
生き残るための知恵、また組織づくりを身につけたい。
第2段階 商業の崩壊
金融の崩壊が始まると、次第に商業も崩壊していく。
通貨で物を交換できなくなるからだ。
そういう世界でおこるのは、物々交換だ。
贈与の利点は数多ある。贈与中心の経済は、困難な時代を生き残るうえでとても適したものである。厳しい経済の低迷と崩壊は、これまで人々が契約書に署名して、自らを市場経済に結び付けてきた多くの約束を反故にするだろう。しかし、贈与は自由意志に基づくものなので、破棄される契約もなければ法定で争うこともない。
贈与中心の経済は慣習とタブーによる自治的な営みであり、規制のための体制を必要としない。したがって、贈与中心の経済は、政府が腐敗している、あるいは略奪的に振る舞う、はたまた機能不全に陥っている環境で有効となる。
『崩壊5段階説』 pp194-195
例えば、魚と米を交換する、米と卵を交換する、野菜と肉を交換するなどなど。
物々交換できるコミュニティーを作ることも、今後日本で生き抜くうえで必要となるだろう。
コメントを残す