地縁血縁共同体の崩壊

地縁血縁共同体の崩壊

地縁血縁共同体という言葉がある。

これは、町内などの住む土地から生ずる縁故関係や家族や親戚のような血のつながりがある関係から成り立つ社会集団のことを指す。

いわゆる、ムラ社会ですな。

私の住んでいる田舎では、まだ地縁血縁共同体は根強く残っているが、その結びつきは年日を経るごとに薄くなっていることを感じる。

なぜならこの共同体を継承する若者が少なくなっているからだ。

若者が田舎から都会へ出ていくのですな。

若者が地縁血縁共同体を離れるタイミングは、大きく分けて進学と就職(転勤)の2つがある。

最初に若者が、地縁血縁共同体を離れるタイミングは進学だ。

多くの大学や専門学校は大都市に集まっている。

大都市に憧れた田舎の学生は、まるで光に寄っていく虫のように、大都市の大学や専門学校へ進学する。

かく言う私もその一人である。

しかし、大都市に集まる多くの大学や専門学校などは、地方の若者を大都市に吸収し、婚姻も出産もできない環境に閉じ込め、資本主義の奴隷として働かせる

そのシステムを支える機関に過ぎない。

就職(転勤)はもっと直接的に、自ら資本主義の奴隷になりに行く行為である。

都会への憧憬、高賃金の給料など理由は様々あるが、自分の労働力(時間)を資本家に買ってもらうため、地方の若者は多くの企業が集まる大都市へ向かうのだ。

お分かりの通り、地縁血縁共同体の崩壊は資本主義の台頭と密接に関わっている

資本主義が普及することによって、地縁血縁共同体は弱くなっていっているのですな。

資本主義とは何か

ここで資本主義と言う言葉を振り返ってみよう。

資本主義とは商品の集合であり、その商品はお金を媒体として交換される。

税金を納めるため、生活するため、または娯楽のためなど、様々な商品を買うために、皆何らかの商品を売ってお金を手に入れる。

勤め人だったら労働力、農家だったらコメや野菜、自動車メーカーだったら車と言ったように。

取り分け、この資本主義の主役と言えるのが資本家だ。

工場などの生産設備を所有している資本家は、工場を最大限に活用して商品を生み出すことを考えている。

そのためには、労働力を売ってお金を得る勤め人が必要だった。

しかし、問題があった。

地方には、ムラ社会のような地縁血縁共同体があり、親や地域の人たちは若者をわざわざ拠り所のない都市のプロレタリアート(勤め人)になることを許さなかったのだ。

資本主義にとって最大の敵ともいえる地縁血縁共同体を壊すため、国が取り入れたのが「国民主義」という概念である。

国民主義は、それまでの親や地域といった地縁血縁共同体ではなく、国家という共同体に帰属するという考えだ。

この思惑は成功した。

地縁血縁共同体は弱くなり、多くの地方の若者は大都市にプロレタリアート(勤め人)として出向くことになっていく。

大都市では子育てが向かない

順風満帆に見えた資本主義だが、落とし穴があった。

大都市では子育てがしづらいのだ

一人の女子が生涯に何人の子供を生むかを示す数字である人口再生産率をみると、東京や大阪などの大都市は地方の県に比べて著しく低いことがよく分かる。

頼る家族や親せき、地域の人もおらず、自分の時間(労働力)を親方にとられた状態での子育てははっきり言って至難の業だ。

子育てには人手が必要なのだ。

結果、少子化が進んだ今の日本がある。

少子化が進んだ日本の先には、人口減少による国内市場の縮小という未来が待っている。

地縁血縁共同体が長年続いた理由とは何だったのか

ここまで読んできた読者の方なら分かると思うが、地縁血縁共同体の長所とは子育てがしやすいところである。

ホモサピエンスは共同体を形成することによって、人口増加を実現してきたのだ。

逆に短所は何か。

それは、一家の長男や女以外の男子、地縁血縁共同体以外の人に厳しいところである。

長男以外の男子は、自分の食い扶持を見つけなければならないという、地縁血縁共同体以外の人は「よそ者」扱いをされるという宿命を負う。

関係資本の貧しい人たちには厳しい。これが地縁血縁共同体の弱さである。

逆に言えば、関係資本の貧しい人たちにも優しい地縁血縁共同体は、今後拡大していくだろう。

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