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中3で早稲田大学を目指した話
タモリに憧れて早稲田を目指した中3年の夏
子どもの頃から漫然と良い大学に行きたい気持ちがあった。
京都大学を卒業し、官僚となった叔父に憧れていたこともあって小学校の頃の夢は京都大学に入ることだった。
中学校に入ると、恵まれたことに地域で一番月謝の高い塾に通うことが出来た。
ここで高いライバルたちに出会えたこと、勉強の習慣が身に付いたことが今から振り返ると受験をしていく上で幸運だったと思う。
転機は中学3年時だった。
私は学校で勉強している内容に疑問を抱くようになっていた。
国語・数学・英語・理科・社会より先に、人生には勉強すべき大事なことが他にあるのではないかという疑問である。
当時、それが何かが分からなかったため、本の虫のように手当たり次第知識を吸収していった。
しかし、学校の勉強をおろそかにしていたため、学年成績は見る見る低下。
学年トップ5には入っていた成績が、学年30番くらいまで下がっていた。
そんな中3の夏出会ったのが、タモリだった。
Youtubeでアップされていた「今夜は最高」を見て、この人めちゃくちゃ面白いと思い、そこから先はタモリジャンキーのように信奉した。
タモリが出ている番組はテレビ、Youtube問わず全部見て、喋る言葉で分からない言葉があればすぐ辞書で調べ、ボケとツッコミ、そして間、表情を真似続けた。
タモリの趣味であった坂道やジャズなどの趣味もたしなんでみた。
そんなときに、出会ったのがこの動画だった。
早稲田大学の稲門祭でタモリがジャズセッションを行う動画。
この活気があり、なおかつハイセンスな早稲田という大学、日本の首都東京という街への憧憬。
地方の小僧が目指す理由としては十分だった。
そこから私の早稲田大学受験が始まった。中学3年の秋だった。
高1時、学校の定期テストで高得点を狙うも
高校受験を経て、何とか地域で一番の地方進学校に進むも、入学時点では学年300人いる中で大体100番あたり。
到底早稲田大学に合格できるラインではない。
私はまず、中学校と同じように教科書を暗記し、高校の定期テストで高得点を狙う作戦を取った。
しかし、定期テストでは高得点を取れても、進研模試など校外模試では点が取れない期間が続いた。
私はこの勉強法の延長線上に早稲田大学合格はないと見切り、校外模試で点を取れるように独学を始めた。
季節は高1の冬になっていた。
高1の終わり、『E判定からの大逆転勉強法』に出会う
当時私は自習塾に通っていたが、そこの塾長から『E判定からの大逆転勉強法』という本を勧められた。
この本に出会えたのも、私の受験の幸運の一つである。
今でいう武田塾の走りであり、この本に書かれたことの8割くらい出来たから私は早稲田大学に合格することができたと今でも思っている。
非常におすすめの本である。
国語・英語・日本史を中心に独学を進め、高3の春には大体学年30~50番目くらいのポジションにいた。
しかし、まだ問題があった。
国語と日本史の偏差値は70オーバーまで行くようになったが、英語が偏差値60くらいで伸び悩んでいたのである。
高3時に私立文系3科目に絞る
高3の春まで、私は第2志望を広島大学で考えていた。
早稲田に合格できなかったら、わざわざ学費や家賃の高い東京の私学へ行く意味はないと思っていたからだ。
しかし、背に腹は代えられない。
このまま5教科7科目を勉強していれば、英語が到底早稲田レベルまで到達しない。
私は第2志望の広島大学を諦め、私立文系3科目に絞ることにした。高3の夏である。
慶應に通ういとこから英語の勉強を教わり、システム英単語で一から英単語を勉強しなおした。
この後の話は、以下の記事に書いてあるので、興味があれば見てほしい。
何はともあれ現役で早稲田大学に合格した。
合格発表のときは、受かる自信がなかったので、人の少ない公園で一人で見たのを覚えている。
受験時に幸運だったこと
総じて私の受験時代を振り返ると、幸運だったことが何点かある。
まず中学の早い段階で塾に通わせてもらい、勉強習慣が身についていたこと。
『E判定からの大逆転勉強法』に出会えたこと。
そして中学3年という早い時期から大学受験を始めていたことだ。
自分に適切な勉強法や教材の選定や、受験戦略の見直しが出来たのも早めに勉強を始めていたからこそ。
これが高3からだったら、私は到底間に合わなかっただろう。
今回は私の受験時代を振り返り、していてよかったことを分析してきた。
この記事が誰かの役に立てれば幸いだ。
今回はここまで。それではまた。
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