不合理の合理性
合理的な行動に見えて、不合理な行動をしていたということは往々にしてよくあることだ。
今回はなぜそのような事態が起こるのか分析したい。
結論から先に言うと、これは階層(レイヤー)が異なることによって生じる事態である。
例えば、資本主義社会とヒトの生殖。
これらはお互い、階層(レイヤー)が異なる活動だ。
そのため、あるレイヤー(資本主義社会)で合理的な行動が、別のレイヤー(ヒトの生殖)では不合理な行動になるということが起こるのだ。
より具体的に話していこう。
資本主義社会で合理的な行動と言えば、節約と商品作りが挙げられる。
商品作りには種銭が必要なため、商売人は節約し、種銭を作っていく。
節約をする時に、実家暮らしは有効な作戦の一つである。
一人暮らしの時に必要だった家賃をそのまま貯金に回すことができる。
資本主義社会の中では、実に合理的な行動である。
しかし、ことヒトの生殖活動においては、この実家暮らしが不合理な行動に変化する。
女性目線から見ると、実家暮らしの男性は自分(と子ども)を守ってくれるだけの経済力がなく、いつまでも親元に甘える自立心のない弱いオスに映るからだ。
そんなオスを女性が選ぶはずがない。
ヒトの生殖活動において合理的な行動は、一人暮らしをすることなのである。
つまり合理的な行動というのは、階層(レイヤー)ごとに異なるのである。
世界はさまざまなレイヤーが複雑に絡み合って構成されている。そして、レイヤーひとつひとつに合理的な行動が存在する。
そのため、あるレイヤーの不合理な行動が、別のレイヤーでは合理的な行動だったという事態が生じるのである。
私はこのことを「不合理の合理性」と呼んでいる。
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