なぜ地方より東京の方が消費欲をうながされるのか
地方から東京に出てきた私は、まずその圧倒的な物の量に驚かされた。
服、食、物、あらゆるサービス、全てにおいて東京の方が圧倒的に多かった。
そして東京で日々暮らしていると、私たちは常に宣伝広告を浴びせられ続ける。
電車に乗っている時、テレビを見ている時、ネットを見ている時、人と会話をしている時、街中を歩いている時、私たちは常に宣伝広告によって消費欲を促される。
圧倒的な物量と絶え間ない宣伝広告、これらによって地方より東京の方が消費欲をうながされるのか。
話はそう単純ではない。
フランスの思想家ジャン・ボードリヤールは、その著書『消費社会の神話と構造』で「消費はひとつの階級制度である」と述べている。
彼はその著者で、消費活動にはヒエラルキーのなかの地位上の価値としての側面があると述べている。
例えば、軽自動車より普通車の方が良く、普通車よりもレクサスやランボルギーニのような高級車の方が価値が高い(お金持ちが乗っている)といった考え方である。
ボードリヤールは同著で以下のようなことを述べている。
消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思っていもいない。
ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』
そしてこういう背景がある中で、宣伝広告が自己顕示欲を促すのですな。
それでも地方都市の町内のような小集団の内部では、自己顕示欲求と競争が安定することもあるはずである。
町内のような狭く、人口の流動性の低い集団の中では、貯蓄や家族の快適な暮らし向きからうわさ話で広まるため、消費によって自己顕示欲を満たさなくて済むからだ。
東京と比べるとお店も少ないため、自己顕示欲を促す宣伝広告が少ないですしな。
東京はその反対だ。
人口の流動性が高く、人口密度も高く、宣伝広告によって常時刺激されている東京では、自己顕示欲を満たすための顕示的消費は避けられない。
同じようなことをアメリカの経済学者であるソースティン・ヴェブレンも述べている。
顕示的消費の欲求は、田舎の住民の所得よりも都市住民の所得においてより大きな比率を占めており、しかもそこでの欲求のほうが、はるかに不可避的なものである。
ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』
地方から東京に出てきて、アイデンティティのない根なし草の人たちは、消費活動によって自分が何者であるのか示さなければならないということですな。
おはり。
コメントを残す