普通であること
祖母に我が家の家訓を尋ねたとき、「普通であること」という答えが返ってきた。
これはなかなか考えさせられる答えだった。
統計学の確率分布の一つに、正規分布というものがある。
正規分布では、下の図のように2σ区間の中に95%と、実に大多数が入っている。
そして、大多数(マジョリティー)というのは、マジョリティー側にいる人にとって居心地がよくできている。
祖母の言う「普通であること」とは、マジョリティー側にいる方が幸せであるということを意味しているのだと私は感じた。
違う視点から考えよう。
「普通でない」と何が駄目なのだろうか。
例えばめちゃくちゃお金儲けが上手かったり、運動神経が抜群でプロアスリートになったり、頭が図抜けて良かったり、端正な顔立ちをしてたり、はたまためちゃくちゃ貧乏だったり、
そういった人たちは一体何が駄目なのだろうか。
こういった普通ではない人たち(マイノリティ側の人たち)の駄目な点。
それは、大多数側(マジョリティー側)から嫉妬や軽蔑、迫害を受けるところである。
ユダヤ教の聖典の一つである「タルムード」に、「金の冠をかぶった雀」という話がある。
ソロモン王はユダヤの最も有名な王である。賢者の王は、鷲の背に乗って空を飛び、領国内の隅々まで視察して回ったといわれている。
ある日、ソロモン王が鷲の背に乗ってエルサレムからはるか彼方の領国を目指して飛んでいたとき、たまたま体調が悪くて、鷲から落ちそうになった。
それを見ていた雀たちが何百羽と寄ってきて、ソロモン王が鷲の背中から落ちないように支えた。これに感謝したソロモン王は、雀たちに「お前たち雀に何でも欲しいものをあげよう」と言った。
雀たちは巣に戻り、何をもらうか大議論した。しかし、それぞれ勝手なことを言って、なかなか一つにまとまらない。
「いつでも身を隠してもおけるブドウ畑」「いつでも水が飲める池」「いつでも食べ物に困らないように野原に落穂をまいてもらう」という意見があった。
そんな中d、ある雀が「ソロモン王と同じような金の冠をかぶって富んだら、さぞかし誇らしく格好いいだろう」と言ったところ、雀たち図ん飲が「そうだ、そうだ」と賛成し、意見がまとまった。
雀の代表が、ソロモン王のところに行き、「王様と同じ金の冠を雀全員にください。それが私たちの願いです」と申し出た。それを聞いたソロモン王は、「それはあまりいい考えではないな。もう一度考え直して来てはどうだ」と助言したが、雀たちは「ぜひ王冠をください」と繰り返した。「それほど言うなら仕方がない」とソロモン王は、雀たちのたっての願いをかなえた。
金の冠をかぶったイスラエルの雀たちは、喜々として大空を飛びまわtった。今まで猟師たちは雀などには目もくれなかったが、金の冠をかぶっているために、全国で雀が狩られるようになった。
仲間たちはみんな撃ち殺され、イスラエルの雀はとうとう最後の五羽になってしまった。最後の五羽は、ソロモン王のところに命からがら駆けつけ、「私たちが間違っていました。金の冠はもういりません」と言った。
雀から金の冠が取り外され、少しずつ雀は平和を取り戻し、何年かのうちにまた元の数に戻ったということだ。
『ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集』
この「金の冠をかぶった雀」のミソは、目立つなということである。
雀たちは金の冠をかぶり目立ったため、猟師たちに殺されてしまう。
殺されずに済むためには、目立たないことこそが重要だったのだ。
目立たないポジション、それはつまり「普通の人」である。
大多数側(マジョリティー側)からの嫉妬や軽蔑、迫害を避けるためには、「普通である」ように見せることが大事なのである。
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