太平洋戦争の遠因:アメリカの西進政策と桂・ハリマン仮条約

太平洋戦争の遠因:アメリカの西進政策と桂・ハリマン仮条約

今回は太平洋戦争の遠因についての話をしよう。

桂・ハリマン仮条約というものがある。

1905年、日露戦争で日本が手に入れた満州の地に、アメリカが日本と鉄道を共同経営するという計画を持ち掛けた。

これに元勲井上薫や伊藤博文、桂太郎首相は賛同し、予備協定まで結ばれた。

しかし、ポーツマスでの講和会議から帰国した外相、小村寿太郎が強硬な反対論を繰り広げ、強引に仮条約を破棄させた。

アメリカは怒り、このことをきっかけに日本を仮想敵国として敵視するようになっていく。

アメリカの西進政策と強国日本

アメリカには昔から、西進政策というものがある。

フロンティアスピリット」を掲げ、アメリカ大陸東海岸から西へ西へと開拓を進めた19世紀。

そして19世紀末、アメリカ国政調査局は「フロンティア消滅」を宣言した。

アメリカの次なる目標はアジア(シナ大陸)だった。

しかし、シナ大陸の前には日本という黄色人種の海洋国がある。

この国は1868年の明治維新を機に、わずか30年強で大国ロシアを破るくらいに力をつけた国だった。

海を挟んだ反対側に急速に力をつけてきている国がいる。

当時のアメリカにとって日本は脅威たる存在だった。

オレンジ計画

桂・ハリマン仮条約が破棄されたアメリカは、日本を仮想敵国として「打倒・日本」の戦略を練った。

これが世にいうオレンジ計画である。

日本を仮想敵国と設定したアメリカは、自国に太平洋艦隊がないことに気づき、軍艦を作り始めた。

更に、修正されたオレンジ計画には、日本の都市を集中爆撃することや、沖縄を占領することなどこと細かく戦略を練られていた。

大胆に見せて、アメリカはかなりしたたかな国である。

アメリカに広がる排日運動

1906年ごろからは、西海岸を中心に排日運動が広がった

この根底にあったのは、日本人に対する恐怖と嫉妬である。

1907年には、サンフランシスコで反日暴動が起き、多くの日本人が殺傷された。

1924年には、絶対的排日移民法が成立した。

アメリカは国家として日本人移民を拒否することにしたのだった。

太平洋戦争の火種はずっと前からあったのだ

このように見ると、太平洋戦争の火種はずっと前からすでにあったことに気が付くだろう。

何もアメリカ発端の世界恐慌だけが根源ではないのである。

世界恐慌が始まり、アメリカやイギリス、フランスがブロック経済を始め、日本の経済は悪くなった。

食えない農民を原動力とする若手軍人たちが二・二六事件や五・一五事件を起こし、軍部が暴走。

日本の外交関係が悪くなり、ABCD包囲陣により日本は石油の輸入が凍結。

日米開戦。

と考えられるが、もとをたどれば太平洋戦争の遠因は桂・ハリマン仮条約の破棄にあるだろう。

持たざる国である日本は外交こそが最大の重要箇所だと考えさせる歴史である。

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